2 最大の特殊区間1区

東京都千代田区から、横浜市鶴見区へと続く1区のコースは、距離は21.3kmと特に長いわけではなく、コースはフラットで気温も低いので、ある意味一番走りやすい区間です

しかしこの何の変哲もなさそうな1区が、箱根駅伝10区間中最も特殊な区間と言えます。



全員が同時にスタートする1区は、まずは集団を形成するパターンが多いです。

1区のコースは走りやすく、それは言い換えれば仕掛け所が少ない事を意味しています。

走りやすいコースで集団が形成されれば、当然その集団は崩れにくいです。

終盤にある多摩川を渡る橋のアップダウンが数少ない仕掛け所ですが、残りの距離が短いので、ここで集団が崩れても大差はつきません。

駅伝は前半の流れが大事なので、1区は重要区間と考えるか、差がつきにくいので無難に走る区間と考えるか、判断の難しい所です。



1区が差がつきにくい理由には、選手の心理も影響しています。

集団内では、先頭を引っぱるよりも他の選手の後ろについた方が楽なので、前に出たがる選手は少ないのです。

走りやすい1区では、少し実力が上の選手のペースにも何とかついて行けてしまう事もあり、 中途半端な実力差では、前に出ても集団から抜け出し切れず、良いペースメーカー扱いされるだけになってしまいます。

 

誰も前に出たがらないと、集団は超スローペースになってしまう事もあり、その時は有力選手を起用しても無駄使いになってしまいます。

こういう展開では、1区に力の劣る選手を使ったチームが得をする事になります。

しかし、ペースメーカー扱いされる事を覚悟で、先頭を引き続けるアグレッシブな選手が1区に出てくる事もあり、こういう時はハイペースの勝負になります。

力の劣る選手を起用した時にハイペースのレースになれば、いくら走りやすい1区とは言え、取り残されてしまいます。

1区で大きく遅れれば、2区以降に焦りの連鎖反応を引き起こす事もあり、致命傷になりかねません。

1区の難しさを簡単にまとめると以下のようになります

 

スローペースだと差がつきにくいからまあまあの選手で無難にこなしたい



でもハイペースになるとまあまあの選手じゃついていけないから怖い



でも速い選手を使ってスローペースになっちゃうともったいない

 

1区で損をしないようにしようとすると堂々巡りになってしまいます。

それでもその中で、できる限りベストな結果に近づけるように、各チームはライバルチームの作戦を読みながら選手を投入するのです。

1区の戦いは大会が始まる前の指揮官同士の読み合いからすでに始まっていると言って良いでしょう。



1区の特殊性を知るには、実例を見るのが良いと思うので、過去の1区のレースをいくつかのタイプに分けて紹介します。





爆走するスーパーエース

箱根駅伝1区で歴史に残る派手な走りといえば2007年大会の東海大・佐藤選手の走りでしょう。

2007年大会の1区、1万m28分07秒の走力を誇る佐藤選手はスタートしてすぐにハイペースで飛ばします。

ついて行ったのは東洋大・大西選手のみで、他の選手は「佐藤のペースについたら潰される」とばかりに、佐藤選手を無視し、3位集団を形成してレースを進めました。

スタートから2kmも行かないうちに大西選手が苦しくなり、佐藤選手は単独のトップへ。

そして3位集団はもうこの時点で40秒以上の差がつきます。

東海大に逃げられては困るチームもあったでしょうけど、3位集団は動きません。

集団の前を引いてペースを上げる事は出来ても、それは集団内の他の選手が好タイムで走る事をアシストする事になるからです。



お前が佐藤を追えよ

そっちが引っ張れよ

やばい東海大の背中がもう見えなくなりそうだ

誰かペースを上げてくれ これ以上差が開くとまずい

こんな選手たちの心の声が聞こえてきそうな展開です。



差が開くとさらに追いかけるのが難しくなる悪循環。

ハイペースで飛ばす佐藤選手と、超スローペースにハマった3位集団との差は、5km地点で2分以上の大差になります



区間新記録ペースで走る佐藤選手は15km過ぎには3位集団に約4分30秒差をつけます。1区で1位と3位の差とは思えないような大差です。

健闘する大西選手は、単独2位をキープするものの15km地点でのトップとの差は2分30秒以上。

10km地点では1分30秒弱だったので、大西選手は序盤に無理をして佐藤選手に食らいついた影響か、中盤からペースダウンが目立ってきています。

終盤になり大西選手の背後には、残りの距離が少なくなってやっとペースの上がった3位集団が近づいてきます。



結局、61分06秒の区間新記録をたたき出して走り切った佐藤選手は、ペースダウンしながらも区間2位に入った大西選手に4分01秒、区間3位には4分12秒の差をつけました。

これほどの大差をつけた佐藤選手の走りは空前絶後、前人未到と言った類の偉業とも言えるし、この大会の1区のレース展開は前代未聞の珍事とも言えます。



佐藤選手が爆走を見せた4年後の2011年大会。

この年にも2007年大会と似たような1区のレースが展開されました。



優勝候補である早大がスーパールーキーの大迫選手を1区に投入したのです。

大迫選手は1万mでは28分35秒のタイムを持ち、11月の全日本大学駅伝とその後のハーフマラソンでもハイレベルなタイムを連発した驚異の1年生。

ルーキーとは言え、その実力が「並みのエース級」ではないというのは明らかでした。



スタートから1km地点で集団を飛び出す大迫選手。

追ったのは日大・堂本選手のみ。

堂本選手は大迫選手と同じ高校出身で先輩にあたるので、意地もあった事でしょう。

3位集団はペースを作る選手がおらず、スローペースにハマります。

2007年大会のリプレイのような展開です。

違ったのは大迫選手のペースが佐藤選手ほどは速くなかった事、堂本選手が大西選手ほどはペースダウンしなかった事、3位集団が2007年大会ほどは遅くなかった事でした。

それでも大迫選手は大きなリードを稼いでいきます。



11km過ぎに単独トップになった大迫選手は、最終的に62分22秒で走り切り、区間2位の堂本選手に対して54秒、3位とは1分53秒の差を稼ぎ出しました。

そしてトップから約2分離された3位集団には、早大と共にもう一校の優勝候補だった東洋大が含まれていました。

この2011年大会のその後のレース展開は、東洋大が5区で柏原選手が逆転劇を見せて往路優勝をしたものの、復路6区で早大に抜かれると、7区、8区、9区、10区と早大の数十秒から1分程度後方で、追いつけそうで追いつけない苦しい状態でトップを追い続けました。

そして東洋大の追撃は最終的には僅か21秒届かず、早大が総合優勝を達成しています。

東洋大は1区でつけられた2分余りの差に最後まで泣かされる形になりました。



この年、東洋大の1区を走った川上選手はこのシーズンの全日本大学駅伝では準エース区間の4区を区間2位で走った実力者。

いくら大迫選手が強いとは言え、実力の差で2分も負ける事はなかったでしょう。

しかし、それでもスローペースにハマってしまうと、こういう展開にもなり得てしまいます。



大迫選手のような派手な走りではありませんが、次はスローペースの集団内で地味にレースを進めた事が、優勝争いに多大な影響を与えた例を紹介します。





「激戦にならない1区」が勝負を決める

2001年〜2002年シーズン、「エースで4番がいっぱいいる。まるで野球の巨人のようだ」と形容された駒大は、その圧倒的な選手層を活かして全日本大学駅伝ではライバルの順大や山梨学大を寄せ付けずに優勝し、優勝候補の大本命として箱根路に乗り込みました。

しかし駒大は1区を予定していたチーム内でもトップクラスのスピードランナー内田選手を使えないという事態になってしまいます。

代わりに1区を走る事になった北浦選手も中々の実力を持っていますが、大本命の駒大が隙を見せたのは間違いありません。

打倒駒大を目指すチームの動きに注目が集まった1区は、スタートしてみるとスローペースの展開に。

代役の北浦選手が決して弱い選手ではなかった事も影響しているでしょうけど、誰も積極的な攻めの走りをする事はなく、大本命が見せた隙を突く事はありませんでした。



駒大の1区は区間13位という成績になりましたが、1区は終盤までスローペースが続いた影響でトップとの差は僅か27秒。

「ペースが速くなったら怖いなと思っていたら、スローで助かった」という駒大・大八木コーチのコメントが陸上雑誌に載っていました。

2002年大会のその後のレース展開は、往路2位につけた駒大が復路6区で逆転し、トップに立ちます。

その後は2位との差は開く一方で、最終的に2位に約4分差をつけて大本命が予想通りの完勝をしています。

1区で駒大を大きく引き離す事が出来なかった時点で、他チームの勝機はなくなったと言えます。



2017年大会、3連覇を狙う王者・青学大は、1区に箱根初出場の梶谷選手を起用。

優勝候補の2番手である早大は、1区にチーム内でも1、2を争う実力者の武田選手を投入します。

武田選手のハーフマラソンベストタイムは61分台であり、これは1万mで言えば28分30秒を切ってもおかしくない程のレベルです。

梶谷選手も走力は高く、1万mベストタイムは28分52秒。

武田選手の方が格上なのは間違いありませんが、仕掛けどころの少ない1区でぶっちぎれる程の差があるのかは微妙な実力差でした。



実際に始まった2017年大会の1区は、スローペースの集団でレースが進みます。

武田選手に勝るとも劣らない実力者である東洋大・服部弾馬選手が1区に出てきた事もあり、多くの選手が服部選手や武田選手の様子を伺っているような状態です。

5kmの少し手前で服部選手がスパートしたものの抜け出しきれず、再び集団のままレースは進みます。

服部選手はラストスパートが切れる選手なので、集団をちぎって大差を稼ぐ走りから、確実に区間賞を取る作戦に切り替えた模様です。



結局集団のペースは終盤まで上がらず、最終的にラストスパート勝負に勝った服部選手が63分56秒で区間賞を獲得。

注目の武田選手と梶谷選手の対決は、63分59秒 対 64分00秒で武田選手が僅かなリードを奪いました。

大本命・青学大が中堅クラスの選手を使い、優勝候補の2番手である早大が切り札クラスの選手を使った1区。

当然1区に限れば早大の方が格上です。

しかし、その早大が青学大に対して稼いだリードは1秒でした。

青学大の梶谷選手にしてみれば、スローペースを利用して格上を相手にほぼ引き分けに持ち込む事が出来たのです。

残りの9区間で行われる優勝争いにおいて、どちらのチームが優位に立ったのかは言うまでもありません。



その後のレース展開は、青学大が2区でライバルの早大や東洋大の前に出ると、3区で首位の神奈川大を抜いてトップを奪い、往路優勝も達成します。

復路では6区や8区で後続を大きく突き放し、結局大本命が予想通りに2位以下に大差をつけて3連覇のゴールテープを切りました。

2002年大会同様に、1区で大勢が決したと言えます。



スローペースに陥ってしまった1区の集団というのは、泥沼のようなものです。

一度その集団のペースにハマると、抜け出したくても抜け出せない。

2002年大会や2017年大会は、ここで大本命を叩いておかないと自チームの優勝は難しくなる、というシチュエーションですが、それでも集団のペースは上がってはいません。

それだけ長距離走において自らが集団を引いてペースアップを図るのはリスクが高い行為なのです。



1区の泥沼とは全く無縁に、軽快に駆け抜けた例を次に紹介します。





容認された独走劇

法大の徳本選手が出場した2000年大会の1区。

この大会は箱根駅伝にあまり興味のない人でも覚えている人が多いかも知れません。

茶色に染めた髪と、いかついオレンジ色のサングラス姿という、駅伝選手とは思えない風貌で1区に出場した徳本選手は、スタートから僅か30秒で集団の前に出ると、以降は1時間以上に渡って独走を続けて、鶴見中継所にトップで飛び込み、2000年代の箱根駅伝の最初のタスキリレーをしたランナーとなりました。



徳本選手の1万mのベストタイムは28分41秒で、この区間を走った選手の中ではトップでした。

独走が決まった理由には、そんな徳本選手の走力の高さと共にもうひとつの要因がありました。

それは法大の戦力の低さです。



このシーズンの法大は前哨戦の全日本には出場こそしたのの関東勢最下位の12位に終わっています。

1万mの上位10人の平均タイム順位では、陸上雑誌によると法大は箱根出場15チーム中15位との事でした。

箱根駅伝予選会は2位通過でしたが、上位候補のチームたちが「法大ならば逃がしても良い」と判断しても不思議ではないでしょう。



順大・沢木監督の「大事なのは1区2区について行く事。レースからこぼれない事」、山梨学大・上田監督の「レースの流れに乗っていく事、無理は1、2区ではしません」というコメントがテレビ放送で紹介されていましたが、これらのコメントは言い換えれば上位争いと無関係なチームにはついていく必要はないという意味にも取れます。

ゲストの日体大OB谷口さんも、第2集団に優勝候補がいるという現状を踏まえて、「法政大学は眼中にないって言い方は悪いんですけど、そういう作戦かも知れませんね」と語っていました。



実際に徳本選手の5kmの通過は14分48秒であり、早大・渡辺選手の当時の1区の区間記録ペースが14分14秒である事を考えると、それほど速いとは言えないペースです。

徳本選手が区間記録並みのペースで飛ばしたならばともかく、1万m28分59秒の走力を持つ神奈川大・相馬選手を初めとした上位候補のチームの選手達は、14分48秒で振り切られるほど弱くはないはずです。



上位候補のチームの選手たちが牽制しあっている隙に、ノーマークのチームの選手が逃げを打つ、こういった展開もあり得るのが1区です。

しかし、もしも徳本選手に相馬選手が食らいついたとしたら、法大はともかく神奈川大を逃がすのはまずい、と判断した多くの選手が徳本選手のペースについてレースを進めたかも知れません。

そして、後ろに多数の選手がゾロゾロとくっついて来られたら、徳本選手も現実のような軽快な走りは出来なかったかも知れません。

おそらくですが、もしもそういう展開になれば、ラストスパートの強い徳本選手は一度集団に戻り、作戦を後半勝負に切り替えたのではないかと思います。

そうなれば区間タイムも、現実に出した62分39秒という好記録を出すのは難しかったでしょう。





レース展開と区間タイム

1区はレース展開が区間タイムに大きな影響を与えます。

そのわかりやすい例が、1998年大会、1999年大会に好走を連発した拓大・東選手です。



1998年大会の1区は、専大・湯浅選手が活躍した年。

湯浅選手は序盤は順大や神奈川大の作るペースに乗ってレースを進めていましたが、8km手前の八ツ山橋で一気に飛び出すと、その後は集団に戻ったものの、ペースメーカー扱いされる事を物ともせずに果敢に集団の前を引き続けました。

62分台を狙えるペースに調子の悪い選手や力の劣る選手は振り落とされていきます。

そのペースに食らいつき、最後まで湯浅選手を追い続けたのが東選手でした。

区間賞は62分46秒のタイムで湯浅選手が獲得し、区間2位に入った東選手も62分58秒の好記録を出しました。



翌年の1999年大会の1区。

既に湯浅選手は卒業し、前回区間2位の実績を持つ東選手は区間賞候補筆頭と言える存在でした。

東選手はスタート直後こそ飛び出す姿勢を見せますが、その後は1km3分程度のペースで集団を引きます。

集団は前年と比べてスローペースで進みました。

東選手は7km辺りからは集団の後方に下がり、集団のペースは上がりません。

元々勝負をかけづらい1区で、区間賞候補が集団内でじっと身を潜めているのならば、周囲はさらに仕掛けづらい。



全チームが一塊となってレースは進み、その集団が大きく崩れ出したのは、1区のレースも終盤に差し掛かる約17km地点でした。

そしてここまでレースが進んでもまだ東選手は動かず、勝負を仕掛けたのはラスト1kmを過ぎた辺りでした。

満を持して東選手がペースアップを図り、他を振り切って区間賞を獲得しました。

区間タイムは64分01秒で、前年よりも1分03秒も遅い記録となりました。



速いペースで集団を引っ張る選手がいるか、いないかで、同じ選手が前年よりも区間順位を上げたのにも関わらず、1分以上も遅くなってしまう事もあるのが1区の区間タイムです。



箱根駅伝という真剣勝負の場では、東選手のように勝負に徹する走りをするのは当然と言えますが、湯浅選手のような果敢な走りの方が一般的な評価は高いでしょう。

しかし果敢に集団を引っ張る事が仇になってしまうケースもありました。





目覚めてしまった才能

2010年大会の1区で区間賞を取ったのは明大・北条選手。

タイムがまた素晴らしく、62分27秒を記録します。

ハーフマラソンの距離に換算すれば61分台になるハイレベルなタイム。

しかし北条選手はハーフマラソンの実際のベストタイムは64分30秒であり、1万mのベストタイム、5千mのベストタイムもそれぞれ29分台、14分台でありレベルの高い記録は持っていません。

しかもこのシーズンの全日本も出雲も、前年のシーズンの箱根も、すべて区間2桁の成績であり、北条選手が1区でハーフマラソン61分台相当の記録で区間賞を獲得すると予想出来た人は少なかったでしょう。

月刊陸上競技付録の箱根駅伝観戦ガイドというマニアックな本を見ても、明大の項目では北条選手については全く語られていません。

大会終了後の陸上雑誌の記事にも、「出来すぎです。自分でもビックリ」、「正直トップで来るとは思っていなかった」という、本人とチームメイトのコメントが載っていました。



この2010年大会の1区には学連選抜チームから出場した神奈川大のエース森本選手がいました。

森本選手は大会前から積極的な走りをすると宣言しており、その通りに序盤からハイペースで集団を引っ張りました。

途中からは早大・矢澤選手や専大・五ヶ谷選手が前に出て、森本選手が下がった後も集団のペースは速さを維持します。

そして1区終盤の六郷橋で、それまでずっと引っ張られていた北条選手が先頭に出て他の全選手を振り切り、トップで鶴見中継所に飛び込んだのでした。



北条選手の区間タイム62分27秒は当時の1区歴代6位に当たる記録です。

区間賞を取るだけならば、周囲が崩れれば運が良ければ取れる事もあるでしょうけど、1区歴代6位の記録はまぐれで出るタイムではありません。

箱根駅伝という大舞台が持つ独特の緊張感と興奮、走りやすい1区のコース、正月の朝の時間帯は長距離走の大敵である暑さとも無縁です。

そこに好ペースで集団を引っ張り続ける選手がいれば、ついていく選手の中には本人も気付かない才能が目覚めてしまうケースもあるのでしょう。

当然ですが、ライバルチームの選手の才能を目覚めさせても、自チームには何のメリットもありません。





1区は複雑です。

1区にエース級を使うのは、ハイリターンを得られる事もありますが、リスクも高く、大当たりか無駄使いのどちらかになりやすいです。

ハイペースになるかスローペースになるかは、ベテラン監督でも読み間違えることがしばしばあり、大会が始まってみないことにはわかりません。



仕掛けどころの少ない1区で勝負をかけるのは、2区で勝負をかけるよりも難しいので、どちらかと言えばスローペースになるのが自然な姿と言えます。

しかし、その自然な流れに逆行するように先頭を引き続けたり、一気に飛び出したりする強靭なメンタルを持つ選手が1区に出てくる事でハイペースになります。



1区のレース展開には流行のような物があり、1度ハイペースのレースになると、翌年以降もハイペースを警戒して強力な選手が集まり、結果的にハイペースの展開が続いたりもします。

どこのチームも出遅れは避けたいので、基本的にはそこそこの有力選手を1区に持ってきますが、更なる有力選手=スーパーエース級を使った方が得をする事もあれば、ライバルチームの選手よりも走力の劣る選手で無難にこなした方が得をする事もある1区は、最も特殊で、最も複雑で、最も予想するのが難しい区間と言えます。

 

 

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